PART 2

Sally Paradise

チー(Chi)とキャサリン(Catherine)(以下 サリーパラダイス)と出会った のは私が初めてモントリオールを訪れた2010年の事であった。le divan orangeと いうライブハウスにて、ブルーバードとヘリオドローム、セバ(Seba)と共に私 がライブをした時にお客さんとして来ていたのだ。私のライブが終わった後に彼 等は私の元に駆け寄って来た。フランス語訛りのブロークンイングリッシュで一 生懸命に想いを伝えようとする様は何とももどかしく、そして第二外国語を使い コミュニケーションをとる私と彼等も同じ境遇(チーもキャサリンも日常的にフ ランス語を話す)であり、とても親しみ深さを感じたのを憶えている。チーは ラオス出身で、見た目も亜細亜人そのものだ。キャサリンは私に“Dreaming” という曲が好きだと言ってくれた。彼等は私に何か一緒に音楽を作れないかと提 案して来た。その時、私に残された滞在期間は二日間であった。 短期滞在で、七日間で七曲の楽曲をスコットとブルーバードと制作するという強行 スケジュールではあったのだが、私はどうしても彼等とまた会いたかった。 2010年のモントリオール、滞在最終日、携帯電話は持っていなかったので、町の 公衆電話で連絡を取り合い、なんとか待ち合わせ場所のリアムの家で再会を果たす事 が出来た。リアムの家の屋根の上でサリーパラダイスの二人と私は三角形になって宇 宙に想いを馳せた。それを祝福するかの如く、空にはぽっかりと満月が浮かんでいた。 私達は無言のまま満月を見上げた。 開口一番に私は「 ” 満月 “ ってフランス語では何て言うんだい?」と彼等に聞くと、 「 ”la pleine lune”[ラ・プレヌ・リュンヌ]って言うんだよ。」と教えてくれた。 続いて私は、日本語では「満月 Mangetsu 」って言うんだよと教えた。 どのくらい時が経ったであろう、満月が先程よりも大きく見える頃には、三者共に母 国語ではない第二外国語でのコミュニケーションに心の距離感を縮めていった。 帰国後すぐにサリーパラダイスから、あの再会の夜に作ったという楽曲が送られて来た。私はその曲を鼓膜に穴があく程聴き込んだ。私は楽曲を制作する際に、 「この曲だ。この曲で道を切り開くんだ。」と決意した瞬間から少なくともその 楽曲を五百回は再生する。五百回再生すると、はじめの内には聴こえなかった音 が聴こえて来る様になる。時にその曲を聴きながら、鉛筆を握りしめながら気絶した様に寝てしまう事もある。五百回を越えるとその楽曲を聴かなくても、脳内で自由に再生することが可能になる。町中で、路地裏で、森で、至る所でその曲 が脳内に流れて来る。サリーパラダイスが送って来てくれた音源は七百回以上の 再生回数を越えていた。長い長い旅の末、ようやく道が見えて来た。 私はその楽曲を「満月〜 la pleine lune 〜」と名付けた。 何とも不思議な事に「満月」が完成した日も綺麗な満月の日であった。

Sally Paradise/Catherine Debard - Interview

Sally Paradiseは、Catherine Debard 、Chittakone Baccam T、Alexis Maurice Brienを中心とするグループで、Catherine Debardが中心となり、地元モントリオールで自主レーベル Jeunesse Cosmiqueを立ち上げている。 Sally Paradiseとの新曲、「新月~心の宇宙~」の録音の合間、あたたかいコーヒーとCatherineの手づくり昼飯を頂きなが ら彼等にインタビューを試みた。

 

志人:始めに、自主レーベル Jeunesse Cosmiqueはいつ頃始めたのですか?
Catherine Debard(以下:Catherine)実は最近で、2010年の春にSally ParadiseのEPをリリースしたのがきっかけね。
それからハンドメイドのCDとTAPE、計9つの作品を発表したわ!

 

志人:レーベルメイトとはどのようにして知り合ったのかな?
Catherine :Chittakone Baccam T(以下、Chi)とは4年くらい前に地元のレコードショップで出会ったの。私達は音楽を共 に制作もするけど、一緒に住んでいる恋人同士でもあるのよ。Alexis Maurice Brien(以下、Alex)は別のバンドも組んでい るけれど、Sally Paradiseの楽曲に参加する様になってから色々な作品で彼とコラボレーションをしている。大きなレーベ ルではないけれど、お互いに助け合いながら、良い影響を与え合いながらやっている。

 

志人:自主レーベルJeunesse Cosmiqueの今後の動きはどんな予定ですか?
Catherine:そうね。 これからも人々をアソシエイトして行きたいし、現在も色々なプロジェクトを進行中よ。ドキュメンタリ ーフィルムなんかも作りたい。

 

志人:次に、Sally Paradiseとはどんなプロジェクトですか?
Catherine:元々は4~5年前くらい前に私が一人で始めたプロジェクトだったの。2011年にバンドになって、ChiとAlexと 私が中心メンバーとなって、色々な音楽家とコラボレーションしてアルバムを作っているわ。
 

志人:では、よりパーソナルなインタビューをして行きますね。Catherine、貴方のお話を聞かせて下さい。今までの遍歴な ど、プライベートな話を混ぜて話してくれますか?
Catherine:OK! 昔からピアノレッスンをしていて、高校生の時にはギターも趣味で始めていたわ。 卒業後、アジア(タイ やインドなど)をバックパックで廻って、旅をした事により今までとは全く別の角度から人生を見つめる経験となった。その 後の自分の生活の送り方も旅から戻って来てから激変したわね。 今まではシャイで、人前で音楽を演奏するなんてもってのほかだった。けれど、旅をきっかけに色々と挑戦してみようと思 ったの。 その後、4年間に渡ってコンピューターを使って録音し、ローファイな音楽を自主制作する事になったのよ。

 

志人:なるほど、私もアジアを旅して廻った事があるから、その気持ちがとても良くわかるよ。ローファイな音楽に対するこ だわりってあるのかな?私自身もローファイな音が好きで、クリアーな音も良いけれど、ノイズまじりの音は聴いていると何 だか古ぼけた記憶を回想する感覚になるね。アカシックレコードが再生する様な感じがするんだよね。レコードノイズなん か正に記憶の再生という懐かしい音がする。
Catherine:そうね。志人が言うノイズの感覚には深く同意するわ。こだわっている部分も勿論あるし、あまり高い機材を買ったりしていなくて、安い中古シンセや中古楽器なんかを弾いているから自ずとローファイな音が出るのよね。

 

志人:私はそんなSallyParadiseのローファイな音が大好きだよ。
Catherine:merci beau coup!

 

志人:新作アルバム「Aouu!」について教えて下さい。
Catherine:「Aouu!」は一年間かけて制作したの。私達はスローなバンドなので、時間をかけて作ったわ。今回は4~5曲く らい新しくメンバーに加わったAlexが演奏をしてくれたの。ホームスタジオで宅録して、ドラムは別のスタジオに入って録 音したわ。みんなこの家に集まって、ギター、ベース、トランペット、フルート、などを次から次へと多重録音していった。 「Aouu!」(アウー)の意味は、オオカミの鳴き声で、映画のタイトルから名付けたわ。短いタイトルにしたかったのと、憶えや すいし、声に出してみた時に発狂出来るでしょ! ほら 「Aouu!」(アウー!!!!!)って。  あまりまじめになりすぎないで、ユーモラスなタイトルにしたかったの。

 

志人:なるほど、凄く良いタイトルだし、曲も全て素晴らしかったよ。 私も参加させてもらえて心より嬉しかった。merci beau coup!
志人:自分で自分の事を聞くのは恥ずかしいけれど、 私とコラボレーションしてどう思いましたか? 
Catherine:志人のコンサートを2010年に観に行った時に、ただ者では ないエレベーションを感じたの。なんだか初めて会ったのに懐かしくて 古くからの友人の様な人だと思ったわ。Chiと私は志人とコンタクトを取 るべきだと即座に思ったわ。 彼は何かをやらかしてくれると思ったの。 「満月」は始め2分しかなかった曲だったのに志人が録音して送って来 てくれた音源は、4分増えていて、計6分の曲になっていてビックリした のと、特にフローとコーラスが、言葉は分からなくてもとても美しくて驚 かされたわ。 そして私達はそのフローを聴いて、言葉の渦に導かれる様にして別バージョンのを演奏したの。

 

志人:Merci infiniment!! これからのJeunesse Cosmiqueの計画とモントリオールの音楽シーンについて教えて下さい。
Catherine:インディペンデントのスタンスを崩さずに良い音楽を常に提供していきたい。色々とコラボレーションしてみた いアーティストと直接コンタクトを取って、実現させて行きたい。私達はこれからも変わらず、JAMをして、BBQをしてセッシ ョンの中で曲を産んでいくわ。昔はインディーシーンで活動していた音楽家達も既に世に知られて来ているので、インディ ーの精神を彼等にも再び思い出してもらう為にもこういった活動を続けて、同じ様な音楽を提供している人達をも刺激を していきたい。音楽だけで暮らしていきたいけれどなかなか難しいのが現実なのだけど、 私達がやりたいことは、 そうね、 「モントリオールから世界中へ向けて、コズミックムーブメントを起こす事よ!」

 

志人:それはそれは頼もしい。これからも楽しみだね!  キープ イット コズミック! Merci infiniment!!!

Sally Paradise / Aouu!

<Catherineが影響された音楽>

Animal Collective Anticon(特にWhy?やthemselvesが好き。Anticonはコミュニティーとして面白いし尊敬する。) 

Sonic Youth THE MICROPHONES  MOUNT EERIE  Deerhoof OOIOO 

Yoshimi&Yuka ボアダムス つじこのりこ AOKI takamasa XIUXIU Melt-Banana

My Bloody Valentine アフリカ音楽 FreeJazz タイランドのアンダーグラウンドなTAPEやレコード

ここにも数多くの日本人の音楽家の影響が見られる。

私も個人的に尊敬する音楽家達である。

日本のインディペンデントミュージックは国境を軽々と越えて、耳の肥えたヘッズの元で愛聴されている。

2010年滞在時にbleubird,Héliodrome,Seba,志人がLIVEをした le divan orange。Sally Paradiseと初めて出会った場所でもある

le divan orange内に設置されているモントリオールの芸術家達の作品が2ドルで購入出来るガチャガチャの様な販売機

モントリオールの作家達による自主制作の芸術作品、5インチレコード、カセットテープ、マグネット、ステッカー、小冊子などが購入出来る。好きなデザインの作家を選んで、ボタンを押すのだが、何が出てくるかはボタンを押すまで分からない。けれど、凄く面白い作品ばかりで、どれも外れは無かった。こういった自主制作芸術作品販売機が町のバーやライブハウスで置かれているのもモントリオールならではの光景だ。

〜道端で出会ったモントリオールの花々〜

スコットが新しく移り住んで来たギゾットストリートは閑静な住宅街で、道端には沢山の美しい花々が咲いていた。どのお庭も手入れが行き届いていてモントリオールの人々が草花を、そして自然をこよなく愛しているのがよく分かる。このギゾットストリートの庭先では「すかしゆり」や「ギボウシ」「白い紫陽花」が特に人気だった。「ギボウシ」は湿地を好み、若い内にはその茎をおひたしにして食べる事も出来る。日本でも日陰の山間部などによく見られる植物だ。花が鈴の様でなんとも可愛らしい。「すかしゆり」は普通の百合の花弁よりも花弁と花弁の間隔が空いている。だから「すかしゆり」という名前だ。

すかしゆり

ギボウシ(薄紫の花を咲かせ、葉の周りに白い縁取りがある)

白い紫陽花

モントリオールの街では白い紫陽花が沢山咲いていた。紫陽花は酸性土壌とアルカリ性土壌によってその咲かせる花の色が変わって来る。又、品種によっては土壌の酸性度に関係なく他の色素染色体がなく、開花から終始、白い花が咲くそうだ。色々調べてみたら、元々白い紫陽花は土壌の酸度の影響を受けないのでどんな土壌でも白色の花を咲かせる様だ。日本でよく見られる紫や青の紫陽花ではなく、モントリオールではこの白色の紫陽花ばかりが沢山見受けられた。紫陽花を見ると日本の梅雨の時期を思い出し、来て早々ではあるが望郷の念を募らせた。

〜 私と野生動物 〜

モントリオールでは至る所でリス達と遭遇する
道路脇からひょこっと姿を現す者
器用にも逆さまの格好で木にしがみついている者
手乗りリスなんて夢じゃないかも知れない

かつて幼い頃に私は二羽の兎を飼っていた事がある。茶色い兎と白い兎。ある冬の大雪の日、白い兎の方が小屋から脱走してしまった。足跡を追って大通りまで探しに行ったが、身体が真っ白だったのと、その日の雪は絶え間なく降り積もり、足跡は家を出た数メートルの所で消えてしまっていた。兎は寂しいと死んでしまうと聞いていたので、一羽取り残された茶色い兎を近所の幼稚園に預けて面倒を見てもらう事にした。その幼稚園には同じく一羽の兎が居た。運命的な出会いを果たした彼等はめでたく七羽の子を授かった。子供ながらに私はその吉報を聞いて心底嬉しかったのを憶えている。けれど、居なくなってしまった白い兎の事は今でもずっと気になっている。そんな昔の経験から、私の「 玉兎」という名が付いたのかも知れない。離れていてもいつも見守ってくれているお月様の中の兎さん、今頃どうしているかな?と思いを馳せて月を見上げる。

野生動物との遭遇は東京ではなかなか難しい。ほとんど檻の中に入れられているか首輪をつけられて某かに飼われている者達だ。野良猫とはよく出会うが、野良犬とはあまり出くわさない。

昔、十九の頃タイランドへ旅をした時には深夜、野犬の大群に囲まれて、にっちもさっちもいかなくなった事があった。逃げれば追い掛けて来るし、今にも噛み付かんばかりにけたたましく吠えられる。最終的には私にも野生の本能が目覚め、野犬に面と向かって野生の雄叫びを上げた。すると何だかつまらなさそうに野犬達は闇の中に消えて行った。

野生動物と言えばこんな経験もある。

二十二歳の頃にカナダはバンクーバーから南米グアテマラまでグレイハウンドバスで南下する貧乏旅行中(途中電車にも乗ったが、全て陸路で)に立ち寄ったノースカリフォルにあるアルケータという街の端に位置するフンボルト環境大学付近から入ったレッドウッド森林公園にて完全に道に迷い、気付いた頃には夕方で、辺りはどんどんと暗くなり、とうとう帰り道を見失った私は、仕方なく見知らぬ森で野宿を決断した。私は一本の大木の根元をその夜の寝床に決めた。何故だかその時、異様にその大木が心強く感じたからだ。陽は落ち真っ暗なレッドウッドの森では野生動物達の鳴き声や無数の虫の音、聞いた事の無い様なうめき声、ガサガサと木々を何者かが揺らす音がした。おちおち眠れたものではないので、火を焚こうと手持ちのライターで辺りに落ちている薪を探そうと足元を照らした瞬間、目前に動物の気配を感じた。まだ目が慣れていない時だったので、恐る恐るその気配のある方へ目をやると、暗闇の中に光る六つの目が見えた。私は咄嗟にライターを消した。そして私自身の動物的直感で、下手な真似をしでかしたら死を見る事を悟った。それは森の秩序を破る事だ。ここで火を熾して焚き火なんてしようものなら六つどころかとてつもない数の動物が一体何事か?と集まって来る様な気がしたのだ。私は大木に助けを求め、しがみつく様にして大木を抱いた。どれほどの時が経っただろう、不思議な事に先程の動物の鳴き声や虫の音が心地よく感じて来たのだ。木と完全に一体化した私。気付けば深い眠りに落ちていた。無事に朝を迎える事が出来た。大木に感謝の念を告げ、傾倒して手を合わせて祈った。朝の小鳥達のさえずりに導かれる様にしてその場を立ち去った。昨日は気が付かなかったが、森の至る所に「熊出没注意」の看板があった事にしばし足がすくんだ。夜の森を舐めてかかってはいけないと改めて肝に銘じた。
若さ故の無謀な経験である。

そんな経験から、今回のモントリオールでも、訪問者である私は決してモントリオールの自然の秩序を乱す事無く、生物多様性を尊敬し、道すがら野生動物と出くわしても餌などはやらないで、共に生きている事を実感しながら歩んで行こう、歩み寄って行こうと心に決めていた。今日も沢山のリス達と色々な会話をした。一人旅が好きな私は行く先々で言葉を介さない動物や雲や空、はたまた木々や草花に声を掛け彼等のご機嫌を伺うのが好きである。
これもまた生涯で見つけた一人遊び。

Snailhouse 「道 〜たまゆら〜」が出来るまで

 本作品「発酵人間」を制作するにあたって、スコットが様々な音楽家 と出会わせてくれて、録音の機会や、ミーティングの機会をコーディ ネイトしてくれた。このモントリオールプロジェクトの中でも、今後 も続行して行くプロジェクトとして、志人の「歌」企画がある。本作 品はある種のコンセプトアルバムなのであるが、その収録曲の中でも とても重要な曲となった「道〜たまゆら〜」が出来るまでを記してお く事にする。

 モントリオールプロジェクトが決定してからスコットが 提案し続けて来たのは、モントリオールのミュージシャンSnailhouse (以下、スネイルハウス)とのコラボレーションである。滞在期間中 Snailhouse 「道 〜たまゆら〜」が出来るまで に、スネイルハウスのリーダーであり、メインボーカルを担当する Mike(以下、マイク)と出会い、彼の自宅スタジオで「道〜たまゆら 〜」は録音された。炎天下の昼下がり、スコットも私もモントリオー ルで一番美味いアイスカフェラテを出すカフェ、「カフェオリンピコ 」でマイクと私は初めて出会う。強い日差しに目を細めながら穏やか な表情のマイクとカフェラテで乾杯する。「カフェオリンピコ」から 徒歩10分くらいの閑静な住宅街にマイクの家はある。道中沢山のリ ス達が私達の目の前を陽気に跳ねて行く。マイクの家は風通しがよく、 窓から差し込む太陽のあたたかな光に包まれて、アンビエントな音楽 を作るには最適な環境であった。以前からスネイルハウスの楽曲が大 好きであった私は、マイクにその想いを伝え、一緒に曲づくりをする ことが出来るのがこの上なく光栄であると告げた。そして私達はどの ような曲を作ろうかと、様々な案を実際に歌ってみて、お互いに音を 聴かせ合いながら制作を進めていった。マイクはアコースティックギ ターを弾き、私のアカペラに合わせて行く。マイクも私の歌を生で聴 くのは初めてであったので、慎重にお互いに歩み寄る。時にアイディ アを交換して、どんな意味合いの歌なのか出来る限り英訳して話す。 しかしやはり私達は言語を越えた所で繋がり合う。アイディアが煮詰 まった時に、ふと、私はピアノを弾いても良いか?とマイクに尋ねる と、「もちろん。」と快諾してくれて、部屋にあるレトロなサウンド のピアノを触らせてもらう。「道〜たまゆら〜」は私のアカペラの歌 を私がピアノで弾いて音階を理解してもらう所から道が見えて来た。 私が弾くピアノに合わせて音階を確かめながら、コードを選んで行く マイク。ようやく形が見えて来た所で、別室の録音部屋にてレコーデ ィングを開始した。「道〜たまゆら〜」を3テイク程取り終えて、そ の他にも候補曲をいくつか録音してみた。

 スネイルハウスとは激しい 曲では無く、心が落ち着く様な物静かな曲を制作するとしっくり来る。 不遇を嘆いたり、この世を嘲笑ったり、憂いだり、世の中を敵に回す よりも、見方を変えれば全ては味方になる様に。素晴らしき世界に産 まれて来た事を心より嬉しく思う素直な気持ちや、これからこの世界 に生まれてこようとする子供達の為にも、この世界の汚い所ばかりに 目を向けないで、美しい所に目を向ければ、ほら、なんて素晴らしい んでしょうか?という命を賛美する様な曲になればと思い歌を書いた。 マイクとは無駄な話は一切しなかった。私とマイクは一緒にいる間ず っと言葉の壁を超えた遥か向こう側、音と一体化していた。それを見 守るスコットも一切邪魔なんてしてこなかった。ふとスコットに目を 向けると、マイクが共に暮らしている猫と戯れていた。母の胎内に居 た頃を思い出したかの様なあたたかい昼下がりであった。

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