志人「発酵人間」発売直前ロングインタビュー

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G)まずは作品 「Zymolytic Human~発酵人間~」の完成、おめでとうございます。そして本当にお疲れ様でした。志人さんには一昨年(2010年)はTriune Godsで、そして昨年はこの「発酵人間」でカナダ・モントリオールという街に創作の旅へと赴いていただきました。改めて志人さんにとってのモントリオールという街の魅力など教えて頂けますか?

志人)
有り難うございます。 ひとえに皆様のお陰です。
完成して自身でもわくわくしてますので、疲れは一切感じておりませんよ。
大谷さん、加藤さんは入稿作業などで本当にお疲れさまでした。最後まで気を抜かずにお付き合い下さいまして本当に有り難うございます。
モントリオールは2010年の春に初めて訪れて、Triunegodsの”SevenDays Six Nights”をその名の通り七日間で制作致しまして、初めて訪れた際は、bleubirdとScottとのアルバム制作に我武者らになっておりましたので、初めての滞在時は町の雰囲気や、文化などに触れる余地があまりなかったのを憶えております。それでも短い滞在期間中にSallyParadiseやHeliodromeといったモントリオールならではのアーティストと知り合う事が出来、彼等と帰国後も一緒に曲作りが出来ました事を心より嬉しく、光栄に思っております。
2011年の夏に再度”Montreal Project”として制作、LIVEの旅で赴かせて頂きまして、今となっては私の心の故郷となっております。「久しぶり!元気でやってたかい?」と互いに声を掛け合える友人も出来ましたし、行きつけのカフェやビーガンレストランでは店員さんと顔馴染みにもなりました。
実は私は以前22歳の時にカナダはバンクーバー、ウィスラー辺りに滞在しておりまして、当時「Heaven`s恋文」を制作しておりました。その当時はカナダに住もうとまで考えておりました。
当時は北米の西側のバンクーバーでの滞在をメインに、その後グレイハウンドバスで国境を越えて南下して、ノースカリフォルニアからサンフランシスコを経由してonimasに会いにLAまで貧乏旅行をして、
その後、メキシコを経由してグアテマラまで行き、最終的にバンクーバーに戻るという一人旅をしながら「Heaven`s恋文」や「アヤワスカEP」を制作しておりました。
その滞在が終わり日本に帰国後「Heaven`s恋文」を発表したのですが、発表後はカナダへ移住するつもりでした。しかし、バンクーバー滞在時に、理想の北米とは程遠い都会的なイメージが付いてしまい、改めてカナダへの移住を辞めて、日本で生活をする事を決意致しました。それでもいつもどこかで北米へまた旅をする夢をイメージしていました。
そんな矢先にGranma Musicの加藤さん、大谷さん、そしてScott、bleubirdとの出会いがあり、2010年のモントリオールでの現地制作依頼のお話を頂き、夢を実現させて頂けた事を心より感謝しております。

G)「Heaven’s恋文」の制作にはそんな過程があったのですね。カナダで作られていたとは!運命的なものを感じます。僕とスコットは時々、お互いの好きな音楽を紹介しあうのですが、当時 スコットは「Heaven’s恋文」の「暗殺者の恋」を聴くとすぐに、志人さんと曲を作れないかと興奮した様子で僕に尋ねてきました。その後2008年のブルーバードツアーの際に志人さんとお会いして制作のお願いをした事を昨日の事のように覚えています。そしてそれは2年後に実現したわけですが、カナダへの再訪はどうでしたか?

志人)有り難い限りです。そうですね。
バンクーバー滞在時に都会的なイメージが付いてしまったカナダでありましたが、モントリオールへ訪れた時にその先入観をことごとく覆されました。そこら中にリスは跳ねているし、公園ではグラウンドホッグとも出会えます。人々はゆったりと、しかし一日を大切に暮らしていて、しかも公用語が「フランス語」だったのも驚きました。
モントリオールのどんなお店に入っても、(インド料理屋さんでも)挨拶は「Bonjour!」「mercibeaucoup!」でした。(チャイナタウンは別ですね。)英語で道を尋ねてもフランス語で返された事もありました。
モントリオールは北米のパリと呼ばれているそうです。birdも言っていましたが町並みがヨーロッパの様な雰囲気もあるのだそうです。私はモントリオールの季節は「春」と「夏」しか知りません。
初めて訪れた2010年には、4月の頭でしたが大雪に見舞われる日もありました。一日で町が雪に覆われる日もありました。その時にscottは「4月に大雪なんて珍しい」と言っていましたね。
では「冬」はどんな感じなのか?とその時聞くと、「マイナス20度くらいになる日も多く、歩いていると吹雪で睫毛が凍って目が開かなくなってしまう事もある。」と言っておりました。

G) マイナス20度…

志人)
Scott曰く、「冬は皆、家に籠っている事が多く、春先になると皆冬眠を終えた熊みたいに活動し始めて、LIVEや作品の発表も多くなる。」と言っておりました。
「Masa、次回はモントリオールの夏においでよ。夏は気持ちがいいよ~。」とScottが言ってくれたのを思い出します。そして昨年2011年には念願の「夏」を経験する事が出来ました。
モントリオールの夏は北米だからといって暑くないだろうと油断しておりましたが、物凄く暑かったです。
日中、公園で作詩などしておりますと丸焦げに日焼けしてしまう日もありました。ライブでも汗だくになったのを憶えております。そしてなによりも驚かされたのは、「夏の日照時間の長さ」ですね。8月になりますと夜9時半頃まで明るい日もありました。一日がとっても長く感じ、暗くなると自然に眠気が襲い、翌朝は朝早く目が覚めて、一日一日を噛み締める様に生活しておりました。

G) 日本とは全然違うのですね。僕らはモントリオールへは行った事が無いのでとても心惹かれます。

志人)
モントリオールへは是非足を運んで頂きたいです。
今回の制作の滞在ではHeliodromeのEricとの生活が最も長かったのですが、彼はとても物静かで、優しく、音に対する追求はストイックな人間でした。
音楽家としても、表現者としてもそうですが、なによりもまず人として尊敬の念を寄せる人物です。
私は彼の事を「マスター」と呼んでいます。Heliodromeのメンバーは皆、私にとって「マスター」です。

G) マスターですか。

志人)はい。
それは熟練者という意味でもありますが、「心の恩師」と呼ぶべき人物でありましょう。そんなEricとの生活は修行の様な生活でした。菜食と自然食を心がけ、ビールやジュースは飲まずに主に果物で水分補給をしていました。お互いに毎日交互にサラダを作り、特にパプリカとブロッコリーが甘くて美味しかったのを憶えております。お腹が減ったらとにかく野菜を頬張っていましたね。
モントリオールの野菜は大手スーパーのもの以外は、わざわざ探さなくても「オーガニック」の自然栽培の野菜が陳列されている事にも驚かされました。日本で はマクロビショップやオーガニックショップなんかに行かないと出会えなかったり、知人から送ってもらうしかありませんが、モントリオールでは意識的な人が 多いのでしょうか?町の至る所でオーガニックショップや自然栽培の野菜と出会う事が出来ましたね。
お陰で滞在期間中、肌がつるっつるだったのも覚えております。自然と人間が近い距離にあり、共に生きていて、芸術や音楽と人々の生活が非常に近い所に存在している町だと思いました。
これをお読みの方がもしも何らかの表現者や芸術家であれば、人生の内一度は是非足を運んでみて頂きたい場所でもあります。

G) 2010年の滞在時の様子がbleubirdのサイトでアップされていますが( http://bleubird.org/news/utb3/ )、街の雰囲気がとても楽しそうで良い感じでした。

志人)
町の自由度はかなりのものですね。
先程も話に出ました様に公用語が「フランス語」なのですが、勿論Scottの様に「英語」を喋る人々も暮らしております。ですが、双方争う事なく、自然に生きている所から見ても実に「平和」な町です。
自然と人間が近い距離にあり、共に生きていて、芸術や音楽と人々の生活が非常に近い所に存在している町だと思いました。
以前、 TriuneGodsのアルバムアートワークを担当して下さったHiro Kurataさんとのred one pressでの対談(志人 from Triune Gods × Hiro Kurata:http://red1press.com/?p=8495)の時にも申し上げましたが、モントリオールは英語圏の人とフランス語圏の人が 入り交じっています。しかしながら双方争う事もなく、言語の違いを「芸術」や「音楽」で時に戦わせ、分かち合い、言葉にしなくても平和であることの素晴らしさを私に教えてくれる、そんな町でした。

G) 志人さんにとって新鮮な経験が多かったという事ですね。

志人)
そうですね。正直Montrealに惚れましたね。ある意味革命家をも思わせる革新的なスタイルの芸術家が多く、日常の中に非日常がスッと入り込んでくる。ものづくりに対するエネルギーに溢れ、影響し、共鳴し、切磋琢磨し合う環境を、芸術家自らが独立して作り上げている素晴らしい場が沢山あると思います。

G)現在、志人さんは日本を拠点に活動されています。日本で活動する志人さんと縁の深い方々 TEMPLE ATSの皆さんを初めとする日本のアーティスト達と、今回のプロジェクトで仲良くなった海外のアーティスト達との間に何か共通したものはありますか?

志人)
共通点は一言で言うと「他人にどうこう言われ様がおかまい無しに我が道を貫いている表現者」ですかね。

G)なるほど、今回 志人さんが書き下ろした冊子「モントリオールメモワール」にはセシス・サヒブと映画を観た時にTempleの戸田真樹さんを思い出したというエピソードがありましたね。二人が繋がると面白いと考えた志人さんですが、実際彼らは「発酵人間」で共演となりました。ふとしたきっかけで面識の無い人同士が作品で繋がるという、まさに表現者としての醍醐味に溢れた話です。他にも、ラジオ番組に出演した時の志人さんの思いや、キッドコアラとの録音、セシスとブルーバードのピザ話(二人に板挟みの志人さんについ笑ってしまいます)等々、それぞれの章がとても読み応えがあって、一つ一つを挙げればきりがありません。今回こういう私的な文章を書いてみてどうでした?

志人)
そうですね。モントリオールメモワールでは、モントリオールの音楽家や文化の紹介を中心に書かせて頂きました。当初は時系列で並べた日記形式で筆を進めようと考えておりましたが、私は出来れば筆を取り、何か作品に残す際には「詩」あるいは「物語」又は「論文」という形式の方が本当に残したいエネルギーではありますので、私的な面に触れての物書きは、戸惑う部分もありました。しかし、時を同じくして同じ空の下で、同じ月を見ている異国の人々が、どのようなエネルギーで表現と共に生活をしているのか知る事で、同じくものづくりを志している方々や、モントリオールという町に興味を抱く方々へ、私なりの紹介が出来ましたら幸いに想い、楽しみながら書かせて頂きました。貴重な経験を有り難うございます。作詩や物語文を書いたり、絵本を書いている時とは筆の運び方が異なりましたが、ますます冊子や小説、詩集や絵本などをつくりたくなりました。本格的に、小さい頃からずっと想い描いていた「本」を完成させる事をこれから更に集中してやってみたいと思います。

G) 志人さんの別人格、玉兎の誕生秘話も興味深かったです。そしてアルバム「発酵人間」ですが、今までの作品と較べると、かなりプライベートなアルバムになっていると感じました。”生身の志人”感に溢れているとでも言いますか。更にアルバムジャケットにも志人さん自身の歌っている姿を採用しています。これは志人さんの音楽制作に対する接し方が変わってきているのでしょうか?

志人)
「発酵人間」はある種のコンセプトアルバムだと自認しております。本作品は、生き方として、在り方として腐りかけている人間が何処までその腐敗に気付き、腐敗を改めてゆく道を選べるかどうか?という瀬戸際、
言わば背水の陣に立たされている人間の、あるいは人類の立場に立って書かれた詩の世界であります。
自身が腐った生き方だと分かっていながらも、腐り続けて行く生活を野放しにして、しまいには身も心も壊死してしまうような結末は誰もが望む訳ではありません。
しかし、どうしても上手く生きようと思っていても生きられない部分も否めませんが、「上手く生きられないから仕方がない」と、そう決めつけてしまう事により全てが決定付けられてしまう事は恐ろしい事の様に思えます。
ですから私は自身を深く洞察し、「決めつける」「決定付けられた固定観念」を一旦打ち壊してみようと考えたのです。 普通であれば、「決定付けられた固定観念」に身を委ね、心を置く事で安心や安定が得られるかも知れません。ストレス社会ですし、何らかの息抜きの部分は誰しも必要でしょう。
であるのであれば、今一度私自身は私自身の存在の所以に立ち返って、「書く事」、「歌う事」、「奏でる事」を心の「核」として真剣に向き合って見ようと心掛けてみることにしました。
退屈や不平不満を他人や画面上にぶつける事や、今の不遇を社会や政治、政府のせいにするよりも、自身が偽りなく「ありのままの自分自身に立ち返る事の出来る所」へ。
私にとってそれは、「書く行為であり行動、あるいは衝動」でありましたので、それに対して存分に向き合ってみる生き方へと転換してみることにしたのです。
心の拠り所は最早他には求めないという所まで行くと、自ずと筆は、夢は、走り出して行くのを感じました。
目前の生きる不安や、将来に対するぼんやりとした不安、その不安材料を全て「書く事」、「歌う事」、「奏でる事」に向けてみた訳です。

G) 常に志人さんの傍らにある表現という行為に対して、気持ちを新たにして向き合ってみたわけですね。

志人)
私は随分長い間、仙人の様な暮らしをしておりました。霞を食って生きて来ました。時間や空間という概念にとらわれない、言わば完全に浮世離れした生活でございました。
まず第一に人である事を忘れ、「虫」や「鳥」、「花々」や「物の怪」達、人間とは言葉を介さない者達との会話に明け暮れておりました。いつしか私は遠く人里離れた所から下界を見る様な、社会や浮き世との接点を持たず、完全に孤立した生き方を選ぶ様になっておりました。
そこでは「虫」や「鳥」、「花々」や「物の怪」達の側から「人間」の側を常に見ていた訳です。そんな生活の中から産まれた歌もいくつもあります。
しかし私は人間に恋をしました。ひとたび人間に恋をしますと、浮世離れした仙人も霞を食っての生活では恋は破れてしまいましょう。
人間を蔑んで見ていた訳ではありません。自分を棚に上げて哀れんでいたのかも知れません。私自身も人でありましょうから。けれども「人」である視点を失いて、「虫」や「鳥」、「花々」や「物の怪」達の側から世界を見つめていた、人間という概念にとらわれずに生きていた生活から学んだ知恵は一生の宝物でございます。

G) 日々の生活の変化が動機となって「人」である自分を意識し、それが作品に表れていると。

志人)
この「発酵人間」という作品では、今一度「志人」という自身の名に立ち返ってみた作品でもありましょう。「志人」という名前は、自分自身が命名した時に決めた事でありますが、志と人の間にレ点を打ち、逆さから省みて読むものであります。つまり「人を志す」という人間完成までの途方もなく長い道を歩もうと決意した若かりし頃を思い出したのです。「人を愛でたい」「産まれて来てくれてありがとう」「素敵な世界へようこそ」と子供等に言いたいのです。
私にとって人間とは、「母の様な優しさ」と「父の様な厳しさ」両方を兼ね備えているものだと思っております。
本作品では、自らをまるで戒めるかの如く、厳しい言葉で背を正そうと言葉を投げ変えている場面も多々あります。耳が痛く聞こえるかも知れませんが、全ては私自身に言い聞かせ、叱りつけているのです。正しいという字は、一旦、止まると書きましょうから、「待てよ」と一旦止まって金剛力士像の形相の様にしかと自身を睨みつけているのです。一方で、柔らかく女性的な声が所々で聞こえるかも知れません、あまり意識的ではありませんが、それはもしかしたら大日如来の様な優しい眼差しを持って自分を包み込もうとしているのかも知れません。その世界は両方とも否定では無くてあくまで肯定の世界です。

G)  私たちは作品のリリースをアーティストにお願いする時、そのアーティストの別の側面を引き出せればと考えています。そういった意味でも、志人さんの等身大のメッセージが形となったこの「発酵人間」はとても良いタイミングでリリース出来るのだなと嬉しく思います。最近の志人さんは作品にとどまらず、ジャズピアニスト スガダイローさんとのセッションやフォークシンガーの三上寛さんとの二人会、そしてご自身で主催されているイベント「詩種」など、ライブも盛んに行われていますが、これらもその思いの一端なのでしょうか?

志人)
そうですね。人里離れた所から浮き世に降りて参りましたら自然に人たる人と出会い、再会したという感じでしょうか。全ては自然な流れであったと思います。けれども全ての事象が意識的では無く無意識の内に起きている事なんですけれどね。しかしこんな人と共に音を奏でたい、切磋琢磨して挑戦してみたいという強い想いが根底にあり、自然と心も身体も赴いていったのではないでしょうか? そういう部分では、私自身では無く、私の周りに同時代を並々ならぬ思いで共有する同志達が非常に良い意味で意識的に、良い意味で無意識に何か事を起こそうと集まった結果に起きた事なんではないでしょうか?自分自身がやってのけたなんて微塵も思いませんね。全てはその場に居合わせた人や空気が作り上げた奇跡の瞬間ですね。日常はそんな奇跡の連続ですよ。日々見落としがちですが。そして、やはり私は挑戦する事が好きで、日々挑戦や冒険を画面上の疑似体験ではなく、実体験として様々な猛者達とインプロビゼーションを繰り返し、即興演奏の中に産まれる奇跡的な瞬間に身を置く事がとても健康的な事の様に思えるのです。
しかし、猛者共との対バンなどになりますと、シンプルに、「誰も傷つける訳ではない己を己たらしめん武器」によって実に実験的に、そして健康的にお互い最大限のエネルギーを戦わせます。私にとってはそれは紛れもなく「言葉」であります。楽器は言葉を持ちませんが、心に語りかけてくるものだと思います。特に未だかつて踏み入れた事の無い、未知の領域まで踏み込んで、心を開かせてくれる様な音楽家や芸術家が大好きですね。同じ時代にこういった猛者達と共に音を奏で、学び合える事を心底嬉しく想います。とんでもない時代に産まれて来たのだとつくづく想いますよ。それはとっても良い意味でですがね。

G) 同じような思いや志を持った人々が集まり、お互いをぶつけ合う事によって「場」が生まれる。現在の志人さんの日常はそういう「場」に満ちているという事ですね。数々の「場」を体験する事によりアーティストとして更に成長を遂げている志人さんですが、今後こうなっていきたいなどのビジョンはあるのでしょうか?

志人)
今後はより私自身の表現の原点である「詩を書く事」「物語を書く事」、その「書く」事を心の核として生きていきたいですね。今までの人生で書き溜めて来た膨大な量の詩集や小説を整理して作品として産み落としたいですね。そして自然に即した生き方をしていきたいので、常に自然と不自然とを見極められる様に日々精進して参りたいですね。日々新たに、一日の内、植物や動物達の声を聞く時間も更に大切な時間として歩み寄って参りたいです。残りの人生後どのくらいあるのか私には分かりませんが、より自分に正直に、シンプルに活き活きワクワクと、命を活かして行きて参りたいと思います。
そして、よりパーソナルに表現を続けて行きたいので、出来れば私の音楽や詩などの今後が気になる方は、私の家に遊びに来て欲しいですね。芸能人になんかなるつもりは無いですから、もし人生の中で私の事を思い出して下さる一瞬があるのであれば、いつでも訪ねに来て欲しいですね。但し、相当な山奥に住む事になっていますので、そこまで来られる方は大歓迎です。こちらは寂しいくらいが丁度いいという様な不便を厭わずな生活をしていると思います。そこで、囲炉裏や焚き火でも囲みながら、滝の音やせせらぎの音を聞きながら詩でも詠み合いましょう。

G) 現代社会に生きる私達には自然と共に生きるという事は中々難しいテーマかもしれません。無機物に囲まれた生活に慣れきっていますから。しかし、今作を経て新たな環境に身を置く志人さんからどんなものが生まれるのか。それは志人さんの新しい作品で味わえるのでしょう。とても楽しみです。今回は色々お話くださり、ありがとうございました。 最後にリスナーの皆さんにメッセージを、そして良ければ近々のリリースなどあれば教えてください。

志人)
「発酵人間」は私のほんの一側面です。人という部分に立返って制作したコンセプトアルバムになりました。それもモントリオールという場のエネルギーと素晴らしい人々との出会いこそなければ完成に至らなかった作品です。全ての出会いと学びに感謝をしております。「発酵人間」に収録されている作品以外にもここ五年間の間に沢山の楽曲を制作しました。実は、既にフルアルバムが完成目前です。そのフルアルバムは、「発酵人間」の世界観と、私自身が仙人の様な生活をしていた時に出来た「無私・虫・無死」の世界観、そして是から生まれ来る子供達にも聞かせられる脳で読む絵本の様な楽曲を含めた愉快なアルバムになると思います。同時に「詩集」(吉本素直名義)も完成目前です。後は挿絵をどうするかという段階です。ゆっくりとですが、自分で廃材や間伐材を彫ったりして版画を作っても良いし、落ち葉を拾って絵を書いても良いと思っていて、思い巡らせているだけでもワクワクしていますので、今年はそんな想いを形にする年にしたいと思っております。そして「腐敗」ではなく、「発酵」して行く過程のメカニズムとしては「微生物」の働きが欠かせないものになっています。昨年、「微生物EP」という作品を大きな流れでは無く、自主制作、自主流通の小さな流れで発表させて頂いたのですが、この目には見えない領域(顕微鏡などでは見えますが。)の「微生物」という小さな世界は争いの無い仲良くワクワクとした世界で、「発酵」あるいは「人間」というマクロな世界が生じ、起こるには微生物の力が確実に必要だという事を、日本の古来の発酵食品や農においての土壌に棲みつく微生物の力の凄さを改めて自分は奇跡的に感じておりまして、そういった意味でも発酵に欠かせない微生物達の小さな世界をコンセプトとしたアルバムを作りました。
近々の予定を申し上げますと、昨年発表致しました「微生物EP」に未発表音源を収録し、最愛の仲間達が作った音源などを含めた「微生物LP」アルバムCDが全国流通版として発表されます。内容はほぼ出来上がっております。フルアルバムからの先行アルバムです。沢山アルバム作ってしまってややこしいかも知れませんが、どの作品もぬかりなく渾身の想いを込めて制作致しております。この「微生物LP」と「発酵人間」のミクロとマクロの世界の両方があってこそ完成する私の今の世界観があると思いますので、宜しければ「発酵人間」と共に「微生物LP」を聞いてみて頂きたいです。
大変長くなってしまいましたが、ひとまず「発酵人間」の作品の中でお会いしましょう。
続きは「微生物LP」でお会い出来たら嬉しいです。

G)ありがとうございました!